2019年6月20日 星期四

日本國土地理院發布新的地圖圖徵--「自然災害伝承碑 」!!

本國土地理院發布新的地圖圖徵--「自然災害伝承碑 」!!
去年7月西日本豪雨的重災區広島県坂町,100多年前曾立有一塊石碑禱念44人死亡的洪水災害事件。
由於蒐集各地因紀念災害所立的石碑等,有利於記錄災害歷史,並強化民眾防災意識。今年3月國土地理院新訂了「自然災害伝承碑 」的圖徵,並向地方政府蒐集了158個石碑資訊,製作了一個專屬的圖資。

#自然災害伝承碑_傳送門
http://maps.gsi.go.jp/?fbclid=IwAR3SmTK_X59mbp44aCUnVm6m0OQO8tF-N8v85nxwzfqIbZehgXdFPdNnpgw#9/36.100157/139.798279/&base=std&ls=std%7Cdisaster_lore_2&disp=11&lcd=disaster_lore_1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=vl

#台灣這方面的石碑比較少
#但是大家可以上傳手邊的災害照片或石碑照片至
#歷史影像平台
#效果會更好喔

#NHK的新聞報導
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190619/k10011959921000.html?fbclid=IwAR0i3I20cWK4bMKqJmb9S1oJ4nyQXqeACbZBd2wfbOUfHTrkxpnjrdk0zwY

各地で発生した災害の記録を石に刻むなどして残す伝承碑。過去の災害の教訓を多くの人に知ってもらおうと、新しい地図記号「自然災害伝承碑」が制定され、19日から国土地理院のウェブ上の地図で掲載が始まりました。


国土地理院が新たに掲載を始めたのは、過去に起きた災害を伝える石碑や記念碑を示す地図記号、「自然災害伝承碑」です。13年ぶりの新しい地図記号で、だ円形の石碑をモチーフにしています。

去年7月の西日本豪雨で大きな被害が出た広島県坂町では、44人が亡くなった100年以上前の明治40年の大水害を伝える石碑が建っていたものの、地域の間で災害の記憶は薄れていました。

これを受け国土地理院は、過去の災害を広く知ってもらおうと、ことし3月、新たな地図記号「自然災害伝承碑」を制定し、全国の自治体から災害の石碑などの情報を募集していました。

その結果、48の自治体から158の情報が集まり、19日午前9時に国土地理院のウェブ上の地図、「地理院地図」に掲載されました。

地理院地図では、新たに制定された地図記号をクリックすると、「地震」「洪水」「火山災害」などといった種別とともに、伝承碑が建てられた年や内容を写真とともに見ることができます。

国土地理院では、今後も自治体から伝承碑の情報を集めたいとしていて、確認が取れたものから、ウェブ上の「地理院地図」や、日本の国土を示す最も基本的な地図、2万5000分の1地図に反映させることにしています。

国土地理院の諏訪部順環境地理情報企画官は「日本では、地形的に同じ災害が繰り返されることが多い。過去の教訓を知ることで、今後の防災や避難行動につなげるきっかけにしてもらいたい」と話していました。

「多摩川決壊の碑」

掲載が始まった「自然災害伝承碑」は、北日本から南は沖縄に至るまで全国各地の広い範囲におよびます。

関東では大正12年の関東大震災や、昭和22年に接近し、広い範囲で洪水の被害を出した「カスリーン台風」など、各地の災害について記した石碑など、合わせて18つが掲載されました。

東京・狛江市では昭和49年に発生した水害を記した「多摩川決壊の碑」が掲載されました。台風などで降り続いた雨によって多摩川の堤防が決壊し、堤防沿いに建っていた狛江市の民家19棟が次々と流されました。

首都圏の住宅街で起きたこの水害の様子は、テレビでリアルタイムで報じられるなど大きな注目を集めました。

堤防の近くには「多摩川決壊の碑」には水害に至った経緯や、その後、河川管理をめぐって行われた住民と国との裁判について記されていて、「ここに水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記する」ということばで結ばれています。

近くに住む85歳の男性は「当時、横浜で働いていて会社から帰れなくなった。強烈な記憶として残っているが、若い住人も増えて、堤防そばに住む人たち以外は覚えていないのではないか。風化を防ぐためにも記録として残していくことは大切だと思う」と話していました。

“埋もれた”記録を生かす

災害の教訓を伝える石碑などは各地に残っていますが、中には広島県坂町の石碑のように、あまり知られていない“埋もれた”記録もあります。

今回、新たに地図記号が掲載されたことをきっかけに、“埋もれた”記録を防災に生かそうとしている自治体もあります。

神奈川県の寒川町は、大正12年の「関東大震災」で、激しい揺れによって大きな被害が出ました。

町では今回、関東大震災の教訓を残す石碑や関東大震災と江戸時代の「安政江戸地震」で繰り返し倒壊した神社の鳥居など、合わせて5つが「自然災害伝承碑」として掲載されました。

このうち倉見神社に残る石碑は、人目につきにくい神社の奥深くにあり、町によりますと、多くの人には知られていない“埋もれた石碑”だったということです。石碑は関東大震災の2年後に建てられたもので、「道路裂ケ橋梁落チ家屋倒レ火災起リ通信途絶エ運輸ナク惨状其極ニ達ス」と当時の状況を伝えています。

また神社の周辺にあった132戸の家屋のすべてが全半壊し、12人の死者が出たことや、その後も余震が続いていた状況が克明に記されていて、「嗚呼恐ルベキは天災地震」と警告しています。

寒川町拠点づくり部の米山紀一課長は「文化財の担当もしていた私も知らない石碑で、地図記号の制定をきっかけに知った。被害状況がかなり克明に記されていて、当時の人たちが後世に残したいという思いが伝わってくる」と話していました。

寒川町によりますと、5つの伝承碑は、いずれも、地盤が弱い“揺れやすい”場所に建っているということで、町では今後、地域の防災マップに掲載するなど過去の教訓を住民に知ってもらう取り組みを進めたいとしています。

米山課長は「寒川町は川の近くで地盤が軟弱なところがあり、伝承碑の位置からも、この事実が読み取れる。関東大震災で寒川町が大きな被害を受けたことも知らない人もいる。この事実を多くの人に受け止めてもらい、きたるべき地震に備えてもらいたい」と話していました。

“伝承碑”登録で遺族は…

「自然災害伝承碑」として掲載された宮城県東松島市にある東日本大震災の慰霊碑について、遺族からは「1人でも多くの人に、震災を知ってもらうことにつながってほしい」と願う声が聞かれました。

慰霊碑は、東松島市の震災遺構として「旧JR野蒜駅」を中心に整備された復興祈念公園の中にあり、高さは地区を襲った津波と同じ3メートル70センチあります。

慰霊碑には犠牲となったおよそ1100人の名前が刻まれ、「平穏な日常が続くように」と願って穏やかな海を表したモニュメントがあしらわれています。

この地区に住んでいた菅原節郎さんは、津波で妻の郁子さん(当時53)や長男の諒さん(当時27)など家族3人を失い、震災のあと、たびたび慰霊碑の前で語り部の活動を続けてきました。

ことし3月には慰霊碑の隣に上皇后さまが被災地を思って詠まれた歌の「歌碑」が、震災8年となったことし3月に完成しました。

菅原さんは、震災の伝承に向けてこの歌碑を建設する実行委員会の委員長を務め、完成に向けて力を注いできました。

自然災害伝承碑に登録されたことについて菅原さんは、「亡くなった妻に笑われないように生きようと今まで歩んできました。息子は人生これからだったので本当にふびんだという思いがあります。慰霊碑が地図に載ることが1人でも多くの人により深く、震災を知ってもらうことにつながってほしい」と話していました。

岩手 大槌町 自然災害伝承碑教訓伝える機会に

明治と昭和の大津波の記念碑が「自然災害伝承碑」として掲載された岩手県大槌町では、災害の教訓を伝える機会になると期待の声が上がっています。

「自然災害伝承碑」に掲載されたのは大槌町中心部の御社地公園にある記念碑で、明治29年の明治三陸地震と昭和8年の昭和三陸地震の2つの津波の被害を伝えています。

記念碑は東日本大震災の大津波で流されましたが、去年、震災前にあった場所から数十メートル離れた所にそれぞれ整備されました。

このうち、およそ60人が亡くなった昭和8年3月3日の昭和三陸地震の津波記念碑は高さが1メートル89センチあり「地震があったら津波の用心」とか「津波が来たら高い所へ逃げよ」、そして「危険地帯に住居するな」といった教訓が刻まれています。

大槌町は町内にあるほかの津波記念碑についても今後「自然災害伝承碑」への掲載を申請したいとしています。

記念碑の近くに住み、幼い頃から避難の大切さを感じていたという内金崎陽子さん(68)は「とてもいいことだと思います。今はどこで災害が起きるかわかりません。地図を通して災害の教訓を子どもたちに知ってほしいです」と話していました。

大槌町文化交流センターの臼澤洋喜さんは「震災を後世に伝えていくことは重要で、地図に載ることで津波を学ぶきっかけにしてほしいです」と話していました。

阪神・淡路大震災の伝承碑が3つ

近畿2府4県では21の情報が掲載されました。

兵庫県内は4つで、阪神・淡路大震災を伝える「自然災害伝承碑」としてはいずれも神戸市内にある「慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯り」「神戸港震災メモリアルパーク」「神戸震災復興記念公園」の3つが掲載されました。

「慰霊と復興のモニュメント」は震災などで亡くなった人の名前が刻まれ、「1.17希望の灯り」では犠牲者の鎮魂を願って火がともされ続けています。

「希望の灯り」の管理に協力するNPOの藤本真一代表理事は「より多くの人にこうしたモニュメントの存在を知ってもらい、災害について考えるきっかけにしてほしい」と話しています。

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